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作品情報
 「大いなる沈黙へ」は構想から21年の歳月を費やして製作され、長らく日本公開が待たれていた異色のドキュメンタリーである。
 フランスアルプス山脈に建つグランド・シャルトルーズ修道院は、カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の男子修道院である。修道士たちは、毎日を祈りに捧げ、一生を清貧のうちに生きる。自給自足、藁のベッドとストーブのある小さな房で毎日を過ごし、小さなブリキの箱が唯一の持ちものだ。会話は日曜の昼食後、散歩の時間にだけ許され、俗世間から完全に隔絶された孤独のなか、何世紀にもわたって変わらない決められた生活を送る──これまで内部が明かされたことはなかった。

 ドイツ人監督、フィリップ・グレーニングは1984年に撮影を申し込み、ひたすら返答を待つ。そして16年後のある日、突然、扉が開かれた。
 彼は修道会との約束に従い、礼拝の聖歌のほかに音楽をつけず、ナレーションもつけず、照明も使わず、ただ一人カメラを携えて6カ月間を修道士とともに暮らした。なにも加えることなく、あるがままを映すことにより、自然光だけで撮影された美しい映像がより深く心にしみいり未知なる時間、清澄な空気が心も身体も包みこむ。
 中世からの石造りの聖堂、回廊──。
 冬から春へ、ゆるやかにめぐる季節、くりかえされる祈りと務め、修道士たちの澄んだまなざし、空のうつろう青の色、雲、ふりしきる雪、火、窓辺の明かり──この世の喧騒からとおく離れ、まったく異なる時間が流れてゆく。
 この作品は修道院をただ撮影したというよりむしろ、映像が修道院そのものとなったと言える。今日の社会のように、かたちや結果に価値をおくのではなく、内なる精神に意味を求める日々、この沈黙にみちた、深い瞑想のような映画には、進歩、発展、テクノロジーのもとで、道を見失った現代社会に対する痛烈な批判と、今日の物質文明を原点から見直そうとする思いが根底にある。森羅万象、瞬間がこの上なく尊く、観る者はこの2時間49分をとおして、かけがえのない経験をすることだろう。

 本作は公開されるやヨーロッパをはじめ各国で大きな反響を呼び、2006年サンダンス国際映画祭で審査員特別賞を受賞した他、多数の映画賞を受賞した。日本では9年の歳月を経て、待望の公開となる。
監督の言葉 容易なことではない。ほとんど会話がなく、通常、映画を成立させるべき言葉からも出来るだけ離れ、考えられる制作プロセスがまったく通用しない作品を作り上げるというのは、本当に容易ではない。
 言葉を使わず、通常の制作論理や劇作法、映画監督としての自分の能力からもかけ離れたところで映画を作るというのは容易ではない。修道院を映像化するのに、映画を修道院そのものにしてしまう以外にどんな方法があるだろうか?どうだろう?
 今でもなお、正解は分からない。言えるのは、やれば出来るということだけだ。この作品は、ある時期からうまく形作られていった。

 ナレーションもなく、あの空間だけで、映画が修道院そのものになった。雲のようにつかみどころのない映画、私が最初にこの作品のアイデアを思いついた時、こう表現していた。そしてこの考えは、1984年に私が初めてカルトジオ会の修道士に会った時も、1年後に、彼らに「今はまだ早すぎる、10年か13年後であれば」と言われた時も、2000年に、修道院から「まだ興味を持ってくれているなら」と電話をもらった時もまったく変わっていなかった。
 そうだ。そうなんだ。雲とは何か?その答えは難しい。雲には様々な種類がある。どれもまったく違っているが、その一つ一つどれもが正しい。間違った雲など見たことはない。

 結局、私は6ヶ月近くをグランド・シャルトルーズ修道院で過ごした。修道院の一員として、決められた日々の勤めをこなし、他の修道士と同じように独房で生活をした。この、隔絶とコミュニティーの絶妙なバランスの中で、その一員となったのだ。
 そこで映像を撮り、音を録音し、編集した。それはまさに、静寂を探究する旅だった。